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執筆者の写真Makoto Noumi Bajoloco

コントラバス の、現実を受け止めよう!!!




クラシック音楽における著名な作曲家たちは、コントラバスのための作品をあまり残していない。理由は、魅力がなかったからだと思います。

コントラバスを語るにおいてオーケストラでの存在かちが重要とか、ま、そうでしょう!

それも魅力の一つ。それはオーケストラにある楽器は全てそうかも、、、。

コントラバスを学ぶにはまずは音楽全体を学ぶ。それもコントラバスだけの事情ではないかと、、、。


じゃ、他の特に楽器と違うところ、今、コントラバスは、まだ発展しているという事。遅れて発達してるんです。だから色な楽器のために書かれた曲を演奏してます。まるでチェロのように演奏しようとしてみたり、管楽器の曲や、歌の曲を編曲してみたり、、、、

こういう試みは、今に始まったことではないようで、その挑戦は、嘲笑さsれたり、、、、、。

ぶっちゃけっっ。モーツアルトもどきのようなディッタースドルフ とか?

ベルディやパガニーニには見劣りする、ボッテシーニ


でもほんとにそうだろうか????

ボッテシーニの記録の中に、オペラの幕と幕の間の余興で、超絶技巧を披露したとあるんだけど、それって、音楽的には劣るのだろうけど、エンターテイメントとしは最高な気がします。ボッテシーニの作品は、強烈に個性的ですね。僕は好きです、大好きです。あんな個性的な作品、作ってみたいです。

ベルディたちとは、考えている事が違っていたのかも、、、


ジャズの世界だとそこは、ますます進歩しています。

気が向いたら書きます。









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